皇甫立

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皇甫 立(こうほ りつ、生年不詳 - 949年)は、五代十国時代軍人。代北の出身[1]

李嗣源代州刺史となると、皇甫立は牙校に任じられた。李嗣源が節度使を歴任するのに従った。謹厳実直な性格で、李嗣源に信任された。王建立安重誨の名簿順はいずれも皇甫立の後ろに置かれた。後唐の明宗(李嗣源)が即位すると、皇甫立は忻州刺史となった。長興4年(933年)、洺州団練使に転じた。応順元年(934年)、鄜州節度使・検校太保に任じられた。清泰3年(936年)春、昭義軍節度使となった。ほどなく華州節度使に転じた[2]

後晋天福2年(937年)、皇甫立は左神武軍統軍に任じられた[3]。天福7年(942年)、少帝が即位すると、皇甫立は左金吾衛上将軍となった[4]開運2年(945年)、左衛上将軍に任じられた[5]

天福12年(947年)、後漢の高祖劉知遠が華北を平定すると、皇甫立は特進・太子太師として致仕した。乾祐2年(949年)秋、死去した[6]

脚注

伝記資料

参考文献

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