寛政3年(1791年)、吉敷毛利就兼の子として生まれる。寛政12年(1800年)、就恭の養子となり家督を相続する。実父の就兼は右田毛利広定の子で、養父の就恭の母が広定の養女という縁での養子入りであった。まだ幼いため、家老が政務を代行した。就恭の養女(実妹)と婚約するも結婚前に早世したため、就恭の実弟佐世親長の娘を正室に迎え、娘の孝子を儲ける。文化12年(1815年)、大頭(物頭を統括する役職)となり、毛利斉房、斉熙、斉元の3代の藩主に仕える。文政2年(1819年)、国元加判役(国元留守居家老)となる。文化文政の頃、儒学者小国玉淵を用いて、領内の郷学育英館の子弟教育に当らせた。文政9年(1826年)1月12日卒。享年36。家督は右田毛利就任の子・元宣が娘・孝子の婿養子となり相続した。