盛岡市立中津川小学校

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国公私立の別 公立学校
設置者 盛岡市
設立年月日 1957年4月1日
閉校年月日 1973年3月31日
盛岡市立中津川小学校
画像募集中
北緯39度42分38.6秒 東経141度20分18.8秒 / 北緯39.710722度 東経141.338556度 / 39.710722; 141.338556座標: 北緯39度42分38.6秒 東経141度20分18.8秒 / 北緯39.710722度 東経141.338556度 / 39.710722; 141.338556
国公私立の別 公立学校
設置者 盛岡市
設立年月日 1957年4月1日
閉校年月日 1973年3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 020-0803
岩手県盛岡市新庄字中津川43-5
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盛岡市立中津川小学校(もりおかしりつ なかつがわしょうがっこう)は、岩手県盛岡市新庄にあった公立小学校

1957年に開校し、1973年に閉校した小学校である。児童の家族は、主に林業や近接する浅岸駅(2016年廃止)に従事していた[1]。閉校後、木造平屋建ての校舎などは中津川地区振興センターとして活用されていたが[1]、盛岡市公共施設保有最適化・長寿命化中期計画に基づき2019年4月をもって廃止された[2]。2020年には施設一帯が解体[3][4]され、更地となった。

校歌は、開校3年後の1960年に制定された。作詞は中村孝一、作曲は飯岡和夫。歌は2番まであり、学校のある中津川地区の風土に関する内容となっている。1番は山について歌われ、2番はその谷間を流れる中津川について歌われている。各番ともに最後の2フレーズは共通であり、校名でもある「中津川」で締めくくる。制定後は、学校内のみならず地区の行事でも歌われ、地区の歌として親しまれた[5]

解体直前の空中写真(2020年)

沿革

  • 1957年昭和32年)4月1日 - 盛岡市立中津川小学校として開校[6][1]
  • 1960年(昭和35年) - 校歌を制定[5]
  • 1970年(昭和45年)5月1日 - 準へき地校に指定[7]
  • 1972年(昭和47年)
    • 5月1日 - へき地等級が2級に昇級[7]
    • 12月 - 市議会にて廃止が可決[6][8]
  • 1973年(昭和48年)
  • 建物を中津川地区振興センターに転用[5]
  • 2019年(平成31年)4月1日 - 中津川地区振興センターが廃止[2][12]
  • 2020年令和2年) - 施設一帯を解体[3][4]

児童・学級数

開校から閉校までの児童数と学級数の推移。

数値は岩手県教育委員会発行の『学校一覧』による。各年度の5月1日時点。

年度 児童数 増減 学級数 出典
1957(昭和32)年度 37 2 [13]
1958(昭和33)年度 38 1 2 [14]
1959(昭和34)年度 41 3 2 [15]
1960(昭和35)年度 47 6 2 [16]
1961(昭和36)年度 48 1 2 [17]
1962(昭和37)年度 49 1 2 [18]
1963(昭和38)年度 44 -5 2 [19]
1964(昭和39)年度 43 -1 2 [20]
1965(昭和40)年度 41 -2 2 [21]
1966(昭和41)年度 40 -1 2 [22]
1967(昭和42)年度 36 -4 2 [23]
1968(昭和43)年度 31 -5 2 [24]
1969(昭和44)年度 25 -6 2 [25]
1970(昭和45)年度 21 -4 2 [26]
1971(昭和46)年度 19 -2 2 [27]
1972(昭和47)年度 14 -5 2 [28]

1957年度に37人であった児童数は、その後緩やかな増加を遂げ、1962年度に49人でピークを迎えた。翌1963年度からは減少に転じ、1967年度に40人、1969年度には30人を割り、1971年度には遂に20人を割るなど歯止めがかからず、閉校する1972年度には14人となった。

アクセス

2015年まではJR山田線 浅岸駅を利用してのアクセスも可能であった。

自動車

周辺

脚注

関連項目

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