盧従史

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盧 従史(ろ じゅうし、生年不詳 - 810年)は、唐代軍人昭義軍節度使

江汝二州刺史・秘書監の盧虔の子として生まれた。若くして膂力を誇り、騎射を習い、沢州潞州のあいだで遊歴した。昭義軍節度使の李長栄に任用されて大将となった[1][2]貞元20年(804年)、李長栄が死去すると、従史は検校工部尚書となり、潞州長史・昭義軍節度使・沢潞磁邢洺観察使を兼ねた[3]。勝手気ままで人の道にそむき、部将の妻妾を奪った。従事の孔戡らが直言して諫めたが、従史は聞き入れず、孔戡らは去っていった。父が死去して従史は喪に服すべきところ、朝廷の許可を得ずに復帰した。元和4年(809年)、成徳軍節度使王士真が死去すると、その子の王承宗魏博節度使田季安と結んで反乱を起こした。従史はこれを討つよう憲宗に命じられたが、兵を出してぐずぐずして進まず、ひそかに王承宗と通謀していた。元和5年(810年)、神策中尉の吐突承璀に捕らえられて、長安に護送された。4月、驩州司馬に左遷され、死を賜った[4][5]

子の盧継宗ら4人はいずれも嶺南に流された[6][7]

脚注

伝記資料

参考文献

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