盧詹

From Wikipedia, the free encyclopedia

盧 詹(ろ せん、生年不詳 - 944年)は、五代十国時代官僚は楚良。本貫京兆府長安県[1]

天祐10年(913年)、河中節度従事となった。同光元年(923年)、後唐荘宗が即位すると、盧詹は戸部員外郎・知制誥に抜擢された[1]天成2年(927年)、中書舎人に転じた[2]。天成4年(929年)、礼部侍郎[3]・知貢挙に任じられた。のちに御史中丞兵部侍郎を歴任した[1]長興4年(933年)、吏部侍郎に転じた[4]。盧詹は剛直な性格で、権貴との議論を避けず、いつも宰相に憎まれた[1]

後晋天福3年(938年)、盧詹は尚書左丞となった[5]。天福4年(939年)、礼部尚書・分司西都に任じられた[6]。尚書右僕射の盧質や散騎常侍の盧重とともに洛陽にあって、連れ立って山水に遊び、飲酒を楽しんだので、洛陽の朝士に「三盧会」と称された[1]開運元年(944年)3月10日[7]、洛陽で死去した。太子少保の位を追贈された[1]

脚注

伝記資料

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI