米国は1947年6月に「欧州復興計画(マーシャル・プラン)」を提唱し、翌年4月に援助実施機関「経済協力局 (Economic Cooperation Administration, ECA) 」を設置した。以後米国は100億ドルを越える援助を供与したが、朝鮮戦争の勃発(1950年6月)を大きな契機として、米国の援助政策は軍事援助優先型に移行した。
1951年6月のECA第13次報告は「諸国自らの努力と1948年以来の経済援助を通じて獲得された利益を維持しかつ増大せしめながら、拡大する経済の枠内で西欧の再軍備を支援していくことが、経済協力局の目的である」[2]と、米国が国策として軍事援助を推進することを明言した。同年10月10日、相互安全保障法が成立し、軍事援助約60億4213万ドル、経済援助約14億4040万ドル、計約74億8279万ドルの支出が承認された[3]、マーシャル・プラン援助は同法に基づく援助に吸収された。
10月31日、相互安全保障庁 (Mutual Security Agency) が設置され、アヴェレル・ハリマンが初代長官に就任した[4]。12月29日にはECAが廃止され、相互安全保障庁が対外援助業務を継承した[5]。以後、援助を受ける国は防衛力の強化を義務付けられた[6]。
1952年1月には相互安全保障庁の出先機関として在欧特使事務所 (Office of the U. S. Special Representative in Europe) がパリに設置され、援助計画の調整事務を継承した[7]。
米国はマーシャル・プランと並行して、対低開発地域援助(ポイント・フォア計画)を実施していたが、これも相互安全保障法に基づく援助に統合された。