相羽式ツバメ六型軽旅客機
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相羽有が設立した東京航空では、運用する旅客機などを自社開発することで経済性・合理性を追求すべく、1936年(昭和11年)に蒲田に飛行機製作工場を設け、帝国飛行協会の援助を受けつつ第1号機として相羽式ツバメ六型の開発に着手した。設計は1935年(1935年)12 月に開始されており[5]、1936年[4][6]11月に登録記号「J-BABC」の1機を[6]完成させ[4][6]、これは「ペルー同胞号」と命名された[6]。続いて、客席周りに改修を加えた相羽式ツバメ七型[4][6]1機も1936年12月[6]あるいは1937年(昭和12年)に完成させている[4]。七型の登録記号は「J-BABE」[4][6]。
相羽式ツバメ六型・七型ともに東京航空のエアタクシー(エア・タキシー)となり[4][6]、羽田飛行場を拠点として飛行時間5分、運賃10円の遊覧飛行に用いられた[6]。
機体は、日本海軍から払い下げられた[4]三式二号陸上初歩練習機を基に製作された複葉機で[4][6]、主翼・水平尾翼および降着装置である固定脚は三式初練の、垂直尾翼は一〇式艦上偵察機のものを改修した上で流用している。胴体は、木製骨組に羽布および合板張りの新造品で[6]、乗客3名を収める客室キャビンを備えている[4][6]。また、相羽式ツバメ七型では客室の後方への拡張とそれに併せた窓の増設などが行われた他、艤装にも改修点がある。操縦性や安定性に加えて稼働率にも優れた機体だった[6]。