相見とし子
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京都府竹野郡間人町(現・京丹後市)生まれ。二人兄妹であったが、兄は第二次世界大戦で戦死した。
日本女子大学国文学部卒業。
後に同志社大学教授(現・名誉教授)となった相見志郎と結婚し、創作活動に入る。ドイツ文学者・前田敬作が京都大学助教授時代に出していた同人誌『集団55』に発表した初創作の『魔法瓶』で1957年(昭和32年)上半期の芥川賞、直木賞の女性としては初めての同時候補となる。
執筆活動を続けながら、1973年(昭和48年)から平成初め頃まで20年間ほど、左京区の自宅敷地内で文化人の集う居酒屋「木の目会」を実質経営。独立美術協会に所属していた安田謙、中村善種、新制作所属の面屋庄三他、多くの美術家や文化人が参集していた。
写真家であった長男・相見明は1981年にアメリカ・ニューヨークのブルックリン橋でロケーションハンティング中に、橋のワイヤーが切れるという不慮の事故に遭遇。意識不明のままセント・ビンセント病院にて32歳で死去。
2005年に京都市の日本バプテスト病院にて死去。没後、遺骨は丹後間人(京丹後市)の墓に埋葬される。