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間人町

日本の京都府竹野郡にあった町 From Wikipedia, the free encyclopedia

間人町(たいざちょう)は、京都府竹野郡にあった町。日本海に面していた。現在の京丹後市丹後町間人にあたる。

廃止日 1955年2月1日
廃止理由 新設合併
間人町、豊栄村、竹野村、上宇川村、下宇川村 → 丹後町
現在の自治体 京丹後市
国 日本の旗 日本
概要 たいざちょう 間人町, 廃止日 ...
たいざちょう
間人町
廃止日 1955年2月1日
廃止理由 新設合併
間人町、豊栄村、竹野村、上宇川村、下宇川村 → 丹後町
現在の自治体 京丹後市
廃止時点のデータ
国 日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
郡 竹野郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 3,987人
(国勢調査、1950年)
隣接自治体 網野町、豊栄村、竹野村
間人町役場
所在地 京都府竹野郡間人町
座標 北緯35度44分25秒 東経135度06分07秒
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本項では町制前の名称である間人村(たいざむら)についても述べる。

地理

歴史

教育

中学校

  • 間人町立間人中学校

小学校

  • 間人町立間人小学校

出身者

  • 松本重太郎 - 実業家。様々な企業の設立に携わり、「関東の渋沢(栄一)、関西の松本」と謳われた[2]。間人小学校には松本の石像が建立されている[2]。間人村小間西生まれ[2]。
  • 植垣弥一郎 - 実業家・政治家。明治乳業社長・会長や参議院議員を務めた[3]。生涯にわたって故郷の間人を愛し、玄関の表札には「植垣間人」と記していた[3]。間人村岡成生まれ[3]。
  • 小谷勝重 - 弁護士・最高裁判所判事。1948年(昭和23年)の最高裁判所の創設から13年間にわたって裁判官を務めた[4]。間人村向地生まれ[5]。
  • 谷源蔵 - 貿易商。ロシアのウラジオストクを拠点として貿易に携わった[6]。間人小学校に奉安殿を建設したり、間人の郷土研究なども行った[6][7][4]。間人村岡成生まれ[6]。
  • 相見幸八 - 貿易商。戦前は満州のハルビンを拠点として貿易に携わり、戦後には日本に引き揚げて丹後交通(現在の丹後海陸交通の前身の一つ)の社長などを務めた[8]。1940年(昭和15年)には間人町に対して間人町会館(のちの丹後町役場庁舎)を寄贈した[8]。谷源蔵の甥[8]。間人村岡成生まれ[8]。
  • 藤原勘治 - ジャーナリスト。毎日新聞社取締役・西部本社代表。ハンセン病患者救済事業でも尽力し、インドに救ライセンターを設立するなどしている[9]。間人村小間西出身。間人町図書室(のちの丹後町図書室)・間人小学校(のちの丹後小学校)・間人中学校(のちの丹後中学校)には藤原の寄付による豊淑文庫が設置されている[9]。間人村小間西生まれ[9]。

脚注

参考文献

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