8代藩主・相馬恕胤の次男として誕生。母は青山幸秀の娘。
確証はないが、在世中の期間は徳川家斉が将軍になる直前、すなわち将軍・家治の世子となっていた時期に相当するため、何かしらの理由によって「斉」の字を彼から賜ったものとみられる(父・恕胤が徳川家重に御目見することがあったので、斉胤も家治・家斉に御目見する機会があったのではないかと推測される)。
兄・信胤が夭折したため、安永元年(1772年)に嫡子となったが、病弱のため翌安永2年(1773年)に廃嫡された。その後、相馬中村城下に移り住み、天明5年(1785年)死去した。戒名は洞龍院殿雲外恭眠大居士。
弟・祥胤が斉胤の後の嫡子となり、9代藩主に就任した。