真継久直
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「真継」の名字の由来は丹波国多気郡の真継保である。真継保は禁裏御料所であった。上京した後は本姓を紀氏であると名乗る京都の町衆となった[1]。
真継氏の初見は『東寺執行日記』永享12年(1440年)5月16日条であり、足利義教が一色義貫を殺害した際に一色方の真継彦三郎が死亡している。このことから、真継氏は元から朝廷機関に代々奉公していたのではなく、真継の地を足がかりに京都で武家に奉公していた一族であったと考えられる。そして、久直は小野姓を名乗っており、細川京兆家内衆の安富氏の被官に小野氏が存在していることから、真継氏は京兆家あるいは安富氏の被官であった可能性がある[2]。
大永6年(1526年)には三条実香が借銭をした際の銭主として真継弥兵衛尉が確認できる[3]。
父の真継新九郎は天文3年(1534年)に禁裏六町の住人であったと考えられ、この頃から柳原家、甘露寺家、そして再び柳原家の順で奉公していた。そして新九郎は天文年間初期に「六条金仏」の同朋である新見山城守有弘から蔵人所御蔵の役職を横領したとされる[4]。