埼玉県出身。矢作八蔵の二男[1]。1895年(明治28年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し[3]、大学院に入って農業経済学を専攻した[1]。1901年(明治34年)、同大学農科大学助教授に就任し、翌年から経済学研究のためドイツ、フランス、イギリスに留学した。1907年(明治40年)に帰国した後、東京帝国大学農科大学教授と法科大学教授に任じられ、法学博士号を受けた。のち学部改編で経済学部教授兼農学部教授となり、さらに経済学部長に就任した。
その他、帝国学士院会員、帝国農会会長、農事電化協会会長、産業組合中央会理事、学士会専務理事などを務めた。