矢木亮太郎
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石川県金沢市に於いて[2][3]、旧加賀藩士矢木新治の長男として生まれる[5]。幼少にして志を立て、単身で上京。陸軍幼年学校に入学。1892年(明治25年)陸軍士官学校第3期卒業[2][3]。1900年(明治33年)陸軍大学校第14期卒業[2][3]。
日清戦争・日露戦争に出征。1910年(明治43年)10月に歩兵第43連隊長を経て、翌月、陸軍歩兵大佐に昇進[2][3]。その後、1914年(大正3年)1月に歩兵第37連隊長を経て、1915年(大正4年)8月に陸軍少将に昇進と同時に予備役に編入した[2][3]。
退役後は、加越能育英社の幹部として郷土に尽くし、財団法人帝国飛行協会の役員として民間飛行の発展に尽くした。この他第二中外印刷、中外印刷各社長などを歴任した[5]。