知らんがためにわれ信ず
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この句は、次の文のなかに登場している。
アンセルムスは、クレド・ウト・インテレガム(私は理解するために信じる)という表現を、インテレゴ・ウト・クレダム (intellego ut credam 私は信じるために理解する、信ぜんがために知解する[6])と対比している[1][5]。この理解は、知解(ちかい)とも訳される。
- Credo ut intelligam (クレド・ウト・インテレガム) - 私は理解するために信じる
- intellego ut credam (インテレゴ・ウト・クレダム) - 私は信じるために理解する (信ぜんがために知解する)
アンセルムスのこうした神学的方法は、fides quaerens intellectum (知解を求める信仰)と呼ばれる[7][5][8]。
アンセルムスにとって、信仰と理性、信仰(fides)と理性的認識(ratio)は互いに矛盾しない[3]。信仰の中心的な真理のなかに理性的なものが内在することを「理性によってのみ」sola ratione 洞察することができる[3]。
イザヤ書
アウグスティヌス
関連句
関連句に、不合理ゆえにわれ信ず(ラテン語: Credo quia absurdum、クレド・クィア・アブスルドゥム)というテルトゥリアヌスの著作を要約した句がある。これは、信仰は理性に無関係であり超越的であるという意味である[6]。