知らんがためにわれ信ず

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知らんがためにわれ信ずラテン語: Credo ut intelligamクレド・ウト・インテレガム)は、カンタベリー大主教アンセルムス『プロスロギオン』でのラテン語で、「私は理解するために信じる (I believe so that I may understand)」[1]、すなわち、理解を求める信仰を指す[2]。知解(ちかい)を求める信仰ともいう[3]

ピエール・アベラールの「信ぜんがために知解する」や[2]不合理ゆえにわれ信ず(Credo quia absurdum、クレド・クィア・アブスルドゥム)と対比される[4]

この句は、次ののなかに登場している。

Neque enim quaero intelligere ut credam, sed credo ut intelligam.
I do not seek to understand in order that I may believe, but rather, I believe in order that I may understand.

私は信じるために理解しようと努めるのではなく、理解するために信じる。アンセルムス『プロスロギオン』1[1][5]

アンセルムスは、クレド・ウト・インテレガム(私は理解するために信じる)という表現を、インテレゴ・ウト・クレダム (intellego ut credam 私は信じるために理解する、信ぜんがために知解する[6])と対比している[1][5]。この理解は、知解(ちかい)とも訳される。

  • Credo ut intelligam (クレド・ウト・インテレガム) - 私は理解するために信じる
  • intellego ut credam (インテレゴ・ウト・クレダム) - 私は信じるために理解する (信ぜんがために知解する)

アンセルムスのこうした神学的方法は、fides quaerens intellectum (知解を求める信仰)と呼ばれる[7][5][8]

アンセルムスにとって、信仰と理性、信仰(fides)と理性的認識(ratio)は互いに矛盾しない[3]。信仰の中心的な真理のなかに理性的なものが内在することを「理性によってのみ」sola ratione 洞察することができる[3]

イザヤ書

この句はイザヤ書7章9節の「もしあなたがたが信じないなら、あなたがたは決して確立(理解)されないであろう」を参照している[9]

アウグスティヌス

この句は信仰理性の関係について述べたもので、アウグスティヌスの crede ut intellegas (クレデ・ウト・インテレガス、理解できるように信じる・ 信じれば理解できる)という一句を参照している[10]("believe so that you may understand")[11][5]

アウグスティヌスはこの句の意味について、「人は神について何かを知るためには何かを信じなければならない」と理解した[12]。アウグスティヌスもイザヤ書7章9節からインスピレーションを受けたものである[13]

関連句

関連句に、不合理ゆえにわれ信ずラテン語: Credo quia absurdumクレド・クィア・アブスルドゥム)というテルトゥリアヌスの著作を要約した句がある。これは、信仰は理性に無関係であり超越的であるという意味である[6]

脚注

関連項目

外部リンク

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