石井久
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13人兄弟のうちの7番目の五男として福岡県筑紫郡大野村(現大野城市)牛頸(うしくび)の小農家藤井家に生まれる。地元の尋常高等小学校を卒業ののち、昭和13年(1938年)4月に渡辺鉄工所(九州飛行機)に入所。8年後の昭和21年(1946年)8月に弁護士を志して上京するが、警視庁警察練習所に入所、のち昭和22年(1947年)3月をもって24歳で巡査となる。同年11月に5歳年下の石井愛子と結婚、石井姓へ。
警視庁を退官ののち昭和23年(1948年)6月に東京自由証券株式会社に入社、株式新聞の記者などを経て、昭和28年(1953年)3月29歳のときに石井株式研究所を創立する。同年9月に江戸橋証券株式会社を創立、昭和32年(1957年)6月には立花証券株式会社を買収し江戸橋証券とこれを合併、4年後の昭和36年(1961年)10月には同社の取締役社長に就任。昭和48年(1973年)50歳の時に副社長であった中田忠雄を後任指名し会長就任、9年後の昭和57年(1982年)に社長へと復帰。
昭和63年(1988年)12月、65歳の時に再び福園一成に社長として指名し同社取締役会長に就任する。その後平成12年(2000年)の6月に長男である石井登の取締役社長就任にともない同社取締役相談役に就任。平成23年(2011年)6月28日付けで取締役を退任した[3]。平成28年(2016年)4月22日に肺炎で死去[1][4]。