石倉俊寛

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石倉 俊寛(いしくら しゅんかん、1880年明治13年)2月18日[1][2][注 1] - 1975年昭和50年)3月20日[2][3])は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家大日本帝国海軍軍人。最終階級は海軍主計少将。島根県松江市長。旧姓は青戸[4][3]

青戸林平の三男として島根県に生まれ、石倉益蔵の養子となる[4]。島根県第一尋常中学校(島根県立松江北高等学校の前身)、和仏法律学校(現・法政大学)を経て、1901年(明治34年)12月に海軍主計候補生となった[1]。呉経理部第一課長を経て、1926年(大正15年)12月、軍令部出仕と共に海軍主計少将に進み、翌年の1927年(昭和2年)3月、待命し翌月予備役編入となった[5]。雷型駆逐艦「」乗組として日露戦争に出征し、日本海海戦では「出雲」乗組として参戦した[6]

1929年(昭和4年)8月、松江市長に就任し[1]1945年(昭和20年)まで務めた[3]。戦後、公職追放となった[7][注 2]

栄典

脚注

参考文献

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