石原英康
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1995年全日本選手権準優勝。1998年5月4日にフライ級でプロデビュー。デビュー戦で日本フライ級王者スズキ・カバトと名古屋国際会議場でのノンタイトル6回戦で対戦し、6回2-0(58-55、58-57、57-57)の判定勝ちでデビュー戦を勝利で飾った。デビュー戦でいきなり世界ランカーとなり一躍脚光を浴びた。
3戦目でスズキ・カバトを破り日本フライ級王者となっていたセレス小林を相手に、史上最短日本王座獲得を狙うが(最短日本王座獲得記録は、平仲明信、辰吉丈一郎の4戦目)敗北を喫し、6戦目には元WBA世界王者ヘスス・ロハス(ベネズエラ)にKO負けするなど、長い不遇の時期が続いた。
その後スーパーフライ級に階級を上げ、2002年7月7日にジョエル・アビラとOPBF東洋太平洋スーパーフライ級王座決定戦を行い、2回にダウンを喫するも挽回し、7回負傷判定勝ちで王座獲得。同王座は、2回防衛した後に返上した。
2004年5月16日にWBAスーパーフライ級世界王者アレクサンデル・ムニョス(ベネズエラ)に挑戦が決定するも、直前にムニョスが強盗に襲撃され負傷したため訪日が不可能となった。このための緊急処置としてWBA世界同級暫定王座決定戦がセットされ、石原の対戦相手はWBA同級1位のマーティン・カスティーリョ(メキシコ)に変更された。不利を予想された[要出典]石原は、カスティーリョと互角の戦いを見せ、健闘するが、石原リードで迎えた11回にカスティーリョの右ストレートでダウンを喫し、逆転TKO負けで世界王座獲得はならなかった。
2005年6月26日に、今度は正規王者となったマーティン・カスティーリョと再戦したが判定負けし、この試合を最後に引退した。
2006年に、中部大学の集中講義で単位履修し教員免許高等学校1種を取得。その後中京高等学校で教鞭をとっている。後にプロ経験者のアマチュアボクシング復帰を認める規則が制定されると、ボクシング部の部長として後進の指導にも当たり、教え子の田中恒成が高校四冠を達成した後、元同門畑中清詞のジムでプロ転向、デビュー記者会見には石原も同席した。