石堤村

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廃止日 1953年10月5日
廃止理由 編入合併
西礪波郡石堤村東五位村氷見郡太田村高岡市
現在の自治体 高岡市
日本の旗 日本
いしつつみむら
石堤村
廃止日 1953年10月5日
廃止理由 編入合併
西礪波郡石堤村東五位村氷見郡太田村高岡市
現在の自治体 高岡市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
西礪波郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 14.16[1] km2.
総人口 1,793[2]
1938年昭和13年)末[2]
隣接自治体 東五位村立野村赤丸村五位山村氷見郡久目村仏生寺村高岡市
石堤村役場
所在地 富山県西礪波郡石堤村大字麻生谷3037番地[3]
座標 北緯36度44分47秒 東経136度56分44秒 / 北緯36.74631度 東経136.94542度 / 36.74631; 136.94542座標: 北緯36度44分47秒 東経136度56分44秒 / 北緯36.74631度 東経136.94542度 / 36.74631; 136.94542
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石堤村(いしつつみむら)は、かつて富山県西礪波郡にあった。現在の高岡市北西部の石堤地区にあたる。

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、礪波郡石堤村の区域の一部、麻生谷(あそや)村、柴野村、西広谷(にしひろたに)村、山川村、勝木原(のでわら)村、内島村の区域の一部の区域をもって、礪波郡石堤村が発足する。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 郡制の施行のため、礪波郡が分割して、西礪波郡が発足により、西礪波郡に所属となる。
  • 1953年昭和28年)10月5日 - 高岡市に編入する。

村役場の変遷

村発足当初は、柴野字十日市の三光寺を借りていた。1892年(明治25年)4月も麻生谷5005番地(旧麻生谷小学校校舎)に移転し、1905年(明治38年)から1906年(明治39年)3月までの間は石堤尋常小学校の仮校舎に充用のため、麻生谷の浄教寺に転借していた。1925年大正14年)、富山県からの補助金を得て、麻生谷3037番地に隔離病舎を新築し、そこに役場庁舎を借充した。以降毎年使用外目的の認可を申請していた[3]

歴代村長

出典→[4]

  1. 浦谷彦作(1889年5月 - 1898年2月)
  2. 柴田利八(1898年3月 - 1906年2月)
  3. 西村茂(郡書記、1906年3月 - 1906年4月)
  4. 柴田利八(1906年5月 - 1910年12月)
  5. 尾崎準一郎(1909年12月 - 1918年3月)
  6. 前野八三(1918年4月 - 1922年4月)
  7. 山田三美(1922年5月 - 1934年3月)
  8. 尾崎進(1934年3月 - 1937年7月)
  9. 前田松次郎(1939年1月 - 1940年11月)
  10. 宮崎精二(1941年2月 - 1942年3月)
  11. 尾崎進(1942年4月 - 1946年12月)
  12. 宮崎精二(1947年4月 - 1947年5月)
  13. 谷口重義(1947年6月 - 1948年4月)
  14. 空一(1948年5月 - 1950年2月)
  15. 前野良太郎(1950年3月 - 1952年7月)
  16. 前田直(1952年8月 - 1953年10月)

参考文献

脚注

関連項目

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