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石川豊人

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石川 豊人(いしかわ の とよひと)は、奈良時代の貴族。正四位下・石川難波麻呂の子とする系図がある。官位は従四位上・大蔵卿。

春宮大進兼中務大丞を経て、聖武朝末の天平20年(748年)従五位下に叙爵し、翌天平勝宝元年(749年)孝謙天皇の即位後まもなく少納言に任ぜられる。その後、孝謙朝では主税頭・越中守、淳仁朝では造宮少輔・大輔、称徳朝では刑部少輔を歴任する。この間に発生した多くの政変には巻き込まれずに済んだ一方で、春宮大進として仕えた阿倍内親王(孝謙天皇・称徳天皇)の治世が相当期間あったにもかかわらず豊人の昇進は滞り、天平宝字8年(764年)の従五位上への昇叙に留まっている。

宝亀元年(770年)光仁天皇の即位後間もなく右少弁に任ぜられると、宝亀5年(774年)正五位下、宝亀7年(776年)正五位上次いで従四位下と、光仁朝では弁官を務めながら順調に昇進する。光仁朝末の宝亀9年(778年)大和守に任ぜられ、地方官に転じる。

天応元年(781年)桓武天皇が即位すると出雲守に遷される。しかし、延暦4年(784年)になると従四位上・右京大夫に叙任されて京官に復し、のち中宮大夫・大蔵卿・武蔵守を歴任した。

延暦9年(790年)5月3日または延暦10年(791年)5月4日卒去[1]。最終官位は大蔵卿従四位上。

東京都世田谷区大蔵は、晩年、豊人が大蔵卿と武蔵守を兼任していた頃、居住していたことに由来すると伝えられる(『江戸名所図会』)。

官歴

『続日本紀』による。

系譜

脚注

参考文献

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