石村貞吉 From Wikipedia, the free encyclopedia ポータル 文学 石村 貞吉(いしむら ていきち、1876年(明治9年)11月27日 - 1973年(昭和48年)7月26日)は、大正時代から昭和時代の日本文学者。東京女子大学名誉教授。姓は石邨とも称した。号は平川。 東京府東京市麹町区(現在の東京都千代田区)に石村貞一の子として生まれる。父は長門国出身の儒学者であった。東京帝国大学文科大学史学科を1901年卒業する。大日本農会附属高等農学校の嘱託となる。1904年、愛知県立第一中学校の教諭となり、1917年から1920年の3年間同校の校長を務めた。1921年から大倉高等商業学校と東京女子大学の教授となった。日本基督教神学専門学校や武蔵高校の講師を兼務した。1923年の関東大震災が発生するまで塙保己一が開いた和学講談所の土蔵を改造した住宅に住んでいたが、貴重な経本と共に全て焼失した。 1952年に定年退職し、名誉教授となった[1][2]。次男の石村吉甫も文学者となった。 著書 『新註平家物語』 『風俗と文学』 『源氏物語有職の研究』 『有職故実研究』(全2巻)など 脚注 [脚注の使い方] ↑ コトバンク 石村貞吉 ↑ 近代文献人名辞典(β) 石村貞吉 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。表示編集 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。表示編集 Related Articles