石橋八九郎 (1833年生の実業家) From Wikipedia, the free encyclopedia 石橋 八九郎(いしばし はちくろう[1]、旧姓・阪本[1][注 1]、幼名・甚七[2]、1833年〈天保4年〉[2] - 没年不明)は、日本の商人・会社役員・慈善家。救恤を致す。 紀州の人[1]。海草郡加太村(現・和歌山市)生まれ[1]。阪本甚右衛門の子である[1]。家は代々網綱を商とし、「十一屋」と称する[1][2]。成長すると紀泉両州に行商し、網綱を販ぎ1日も懈怠せず、「十一屋」の名が大に揚がる[1][2]。 安政5年、石橋家を嗣ぐ[1]。当時石橋家の資産は富裕ではなく、僅かに米穀と肥物を商い唯数畝の菜園あるのみであったが、八九郎が励精刻苦、家事を見るとまもなく漸く富裕となった[1][2]。紀州銀行取締役、南陽肥料取締役などをつとめる[1]。 人物 性格は慈善を好み、救恤を致し、官は褒賞を賜うことになったが、八九郎は固辞して受けなかった[1]。住所は和歌山県海草郡塩津村[1](現・海南市下津町塩津)。妻、一男三女がいる[2]。石橋合名会社代表社員石橋八九郎(旧姓・中村)は養子[3]。 脚注 注釈 ↑ 『実業人傑伝 第2巻』には「坂本」とある[2]。 出典 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 『日本現今人名辞典』い86 - 87頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月11日閲覧。 1 2 3 4 5 6 7 『実業人傑伝 第2巻』8ノ28 - 8ノ30頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2025年12月10日閲覧。 ↑ 『人事興信録 第4版』い136頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年8月11日閲覧。 参考文献 広田三郎『実業人傑伝 第2巻』実業人傑伝編輯所、1895 - 1898年。 『日本現今人名辞典』日本現今人名辞典発行所、1903年。 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。表示編集 Related Articles