石貫宏臣

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市津福本町
生年月日 (1969-06-05) 1969年6月5日(56歳)
身長
体重
177 cm
71 kg
石貫 宏臣
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市津福本町
生年月日 (1969-06-05) 1969年6月5日(56歳)
身長
体重
177 cm
71 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト2位
初出場 1990年6月19日
最終出場 1992年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴
  • 千葉ロッテマリーンズ (2017)

石貫 宏臣(いしぬき ひろおみ、1969年6月5日 - )は、福岡県久留米市出身[1]の元プロ野球選手投手、左投左打)・コーチ

プロ入り前

西日本短大附高では、エースとして甲子園に2回出場。2年時の1986年夏の選手権は、1回戦で県岐阜商の大野直(法大熊谷組NTT関東)と投げ合うが完封負け。翌1987年春の選抜では、1回戦でこの大会に優勝したPL学園と対戦。野村弘樹橋本清の継投の前に惜敗した[1]。夏の県大会では7回参考記録ながらノーヒットノーランを達成、ベスト4[2]。投手としては小柄ながら、速球を武器にしていた。当時のチームメイトには、同期に後にロッテでも同僚となる柴原浩、1学年上に青柳進、後藤将和(ダイエー)、2学年下に新庄剛志と、自身と同じく卒業後にNPBの球団へ入る選手が揃っていた[1]

1987年のドラフト会議で、広島東洋カープからの2位指名を受けて入団。

プロ入り後

入団3年目の1990年に一軍公式戦へのデビューを果たすと、ワンポイントリリーフで3試合に登板した。

1991年には、チームに不足していた左腕の中継ぎ要員として、一軍公式戦46試合に登板。6月2日の対ヤクルトスワローズ戦(長岡市悠久山野球場)で一軍初勝利、7月21日の対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)で一軍初セーブを挙げた。一軍公式戦全体で5勝1敗1セーブ、防御率1.98という好成績を残すとともに、チームのセントラル・リーグ優勝に貢献した。同年の西武ライオンズとの日本シリーズでは3試合に中継ぎとして登板している。

1992年には、一軍公式戦32試合に登板したものの、0勝2敗、防御率5.20と不振。前年の登板過多の影響で左肩を痛めたこともあって、1993年以降は一軍公式戦への登板機会がなかった。

1995年には、公式戦開幕直後の4月に、金銭トレードで地元球団の福岡ダイエーホークスへ移籍。しかし、一軍への昇格を果たせないまま、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。通告後に千葉ロッテマリーンズへの入団テストを経て移籍するが、一軍公式戦への登板には至らず、1996年限りで現役を引退した。

現役引退後

引退後は、ロッテに残り1997年から打撃投手に転身した[1]。後に一軍チーフスコアラーを兼務。公式戦の試合中には、ベンチ内でデータ分析を担当していた[3]2017年からは、新設ポストの一軍戦略コーチを務める[4]。同年10月11日に来季コーチ契約を行わないことを通告された[5]。 以降はフロント入りし、2023年現在は査定担当。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1990 広島 30000000------71.0311002002218.004.00
1991 461000511--.83320350.03033032376013111.981.20
1992 321000020--.00013127.23431512171017165.201.77
通算:3年 812000531--.62534178.26774644567032293.321.44

記録

背番号

  • 48 (1988年 - 1991年、1996年)
  • 19 (1992年 - 1995年途中)
  • 59 (1995年途中 - 同年終了)
  • 107 (1997年 - 2005年、2007年 ‐ 2016年)
  • 85 (2017年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI