砧下浄水所
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所在地
東京都世田谷区鎌田2丁目4-1
座標
北緯35度37分3.5秒 東経139度36分39.64秒 / 北緯35.617639度 東経139.6110111度座標: 北緯35度37分3.5秒 東経139度36分39.64秒 / 北緯35.617639度 東経139.6110111度
管理運営
東京都水道局(竣工当初は澁谷町水道)
| 砧下浄水所 | |
|---|---|
| Kinutashimo Purification Plant | |
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濾過池 | |
| 所在地 | 東京都世田谷区鎌田2丁目4-1 |
| 座標 | 北緯35度37分3.5秒 東経139度36分39.64秒 / 北緯35.617639度 東経139.6110111度座標: 北緯35度37分3.5秒 東経139度36分39.64秒 / 北緯35.617639度 東経139.6110111度 |
| 管理運営 | 東京都水道局(竣工当初は澁谷町水道) |
| 処理方式 | 膜ろ過・緩速ろ過 |
| 通常ろ過水量 | 日量7万 m3 |
| 給水区域 | 旧渋谷町 |
砧下浄水所(きぬたしもじょうすいじょ)は、東京都世田谷区の浄水場。東京市への配水を担う澁谷町水道の浄水場として1923年に竣工し、戦前・戦後を通して東京市に配水を続けてきた。
明治時代、日清戦争・日露戦争を経て東京市は爆発的な経済発展を遂げており、人口の増加に伴い、水道の整備が急務であった[1]。政府は1909年(明治42年)、中島鋭治博士らに水道需要と建設の計画策定に関わる調査を委託した[1]。これが、我が国において大規模な近代水道を整備する始まりとなった[1]。後に水道整備を加速するため、内務省による水道条例の改正が1913年(大正2年)に行われた[1]。それまでの水道条例では、たとえ民間水道会社が水道を敷設したとしても、一定期間後に当該市町村に水道を移譲しなくてはならない条件がつけられていた[1]。このため、それまで民間水道会社の設立・参入には消極的な向きもあったが、所定期間後の移譲を有償にする等の改正によって、民間水道会社の設立が促された[1]。これにより最も古いのが玉川水道(株)であり、澁谷町水道は二番目である。結局私営は三つにとどまり、公営企業も1932年(昭和7年)の東京市大合併に合わせて東京都水道局に吸収された[1]。