磐瀬太郎
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1906年、文京区駒込西片町(現・文京区西片)に東京帝国大学名誉教授、宮内庁御用掛侍医、医学博士磐瀬雄一の長男として生まれる。1919年東京高等師範学校付属小学校を卒業。同付属中学を卒業。父雄一より標本、採取道具等を譲り受け、東京谷中墓地等で蝶の採取を経験する。
中学在学中の1921年、初めての論文「アゲハ蝶類の草食及び食物に就いて」を「昆虫世界」(第25号)に発表。 1930年東京大学経済学部を首席で卒業。恩賜の銀時計を授与される。 1930年横浜正金銀行に入行。上海支店に駐在、大陸の蝶に接した。1939年父とともに集めた蝶の標本と文献(Adalbert Seitz等)を天覧に供する。
1942年内閣研究所に出向。総力戦研究所に入所(第2期生)、日米戦争の予測を経済シミュレーションに基づき行った。 1944年東京銀行調査部長となる。1949年病気のため東京銀行を退職。愛好家として蝶の研究を続け、また後輩を指導した。 自宅にて鎌倉蝶話会を主宰し、少年時代の養老孟司はそのメンバーであった。1992年、日本蝶類学会に磐瀬太郎賞が設置される。