磯子カンツリークラブ

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開業 1960年昭和35年)5月15日
運営 メンバーシップコース
設計 大久 保昌
開場時 舘 粲児
磯子カンツリークラブ
Isogo Country Club
磯子カンツリークラブ
磯子カンツリークラブの空中写真。
2019年6月撮影の3枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 日本の旗 日本
神奈川県横浜市磯子区洋光台6丁目43番24号
座標: 北緯35度22分22.81秒 東経139度36分12.66秒 / 北緯35.3730028度 東経139.6035167度 / 35.3730028; 139.6035167
概要
開業 1960年昭和35年)5月15日
運営 メンバーシップコース
設計 大久 保昌
開場時 舘 粲児
運営者 横浜観光土地株式会社
コース

Out Course In Course
HOLEPARYARDHOLEPARYARD
1 4348 1 4344
2 4400 2 4371
3 5514 3 4382
4 3196 4 3160
5 4455 5 5515
6 3153 6 4350
7 4406 7 3175
8 4332 8 5553
9 5558 9 4415
363362 363265

その他
公式サイト 磯子カンツリークラブ
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磯子カンツリークラブ(いそごカンツリークラブ)は、神奈川県横浜市磯子区洋光台に広がるゴルフ場である。

磯子カンツリークラブは、1957年昭和32年)、神奈川県横浜市磯子で株式会社千代田組が、磯子区田中の所有地にゴルフ場を計画したことに始まる[1]1955年(昭和30年)、磯子は鉄道もないことから、横浜市は根岸湾埋立工業団地を計画、根岸線の開通へと動いていた[1]。千代田組は宅地造成を業務としていた、その経験からゴルフ場の造成へと歩んでいた[1]。しかし、磯子区田中での計画は、用地不足により断念した[1]。その後、磯子区栗木(現・磯子区洋光台)を探し出し、コース設計を依頼された舘 粲児は、「岩盤層で最適ではないがまずまず」と賛成した[1]1957年(昭和32年)6月25日、母体会社として「横浜観光土地株式会社」を設立した[1]

1958年(昭和33年)4月、工事は土木重機を導入したが「起伏と 岩盤の多い難工事」となった[1]1959年(昭和34年)8月15日、9ホールのコースを仮オープン、翌年の1960年(昭和35年)5月15日、18ホールのコースが完成し、正式開場した[1]。だが、開場したその年から「大胆な成形手術」大改造が続くことになった[1]。その結果、「1番から18番まで、開場当時の原型をとどめているホールはない」というほど変貌した[1]。そうしたコースを変えたのが、コース設計家の大久保昌であった、コースの平坦化と近代化に努めた[1]

コースは、横浜市内の住宅地と好立地にあり、コースからは東京湾が一望できる丘陵地で、自然の地形を活かした丘陵コースである[2][3]

大久保昌は、千葉農業専門学校(現・千葉大学園芸学部)卒業、埼玉県朝霞キャンプドレイクに勤務、コース設計などを学ぶ。コース設計家・井上誠一の指導を受け、1972年(昭和47年)、コース設計家として新設コースや既存コースの改造・改修を手がけた[4]

所在地

〒235-0045 神奈川県横浜市磯子区洋光台6丁目43番24号

コース情報

  • 開場日 - 1960年5月15日
  • 設計者 - 大久 保昌、開場時 舘 粲児
  • 面積 - 660,000m2(約19.9万坪)
  • コースタイプ - 丘陵コース
  • コース - 18ホールズ、パー72、6,627ヤード、コースレート71.1
  • グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)
  • プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)全組キャディ付き
  • 練習場 - 6打席 40ヤード
  • 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日[5][6]

クラブ情報

  • ハウス面積 - 2,013m2(608.9坪)
  • ハウス設計 - リゾートコネクションズ
  • ハウス施工 - 千代田アクタス[6]

ギャラリー

交通アクセス

エピソード

脚注

関連文献

関連項目

外部リンク

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