神奈川県戦没者慰霊堂
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| 神奈川県戦没者慰霊堂 | |
|---|---|
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神奈川県戦没者慰霊堂 | |
| 情報 | |
| 用途 | 慰霊施設 |
| 設計者 | 創和建設設計事務所 |
| 施工 | 関工務店 |
| 事業主体 |
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| 管理運営 | 神奈川県保健福祉局福祉部生活援護課[1] |
| 敷地面積 |
14,340 m² ※約4,345坪 |
| 状態 | 完成 |
| 着工 | 1952年(昭和27年)12月6日 |
| 竣工 | 1953年(昭和28年)11月5日 |
| 所在地 | 神奈川県横浜市港南区最戸二丁目19番地1号 |
| 座標 | 北緯35度24分35.15秒 東経139度35分26.54秒 / 北緯35.4097639度 東経139.5907056度座標: 北緯35度24分35.15秒 東経139度35分26.54秒 / 北緯35.4097639度 東経139.5907056度 |
神奈川県戦没者慰霊堂(かながわけんせんぼつしゃいれいどう)は、神奈川県横浜市港南区にある慰霊施設。1952年(昭和27年)12月6日着工、1953年(昭和28年)11月5日に竣工した。明治以降の戦争による戦没者及び戦災死者5万8千余名の名簿が納められている。神奈川県の施設であるが、毎年5月10日に多宗教による戦没者追悼奉賛行事(合同祭祀)が行われている[1]。なお、2018年(平成30年)までは神奈川県戦没者追悼式も行われていたが、同追悼式は2019年(令和元年)から神奈川県立県民ホールへ変更されている[2]。
神奈川県が日米講和条約締結の記念事業として、県民の寄付による浄財と県費を合わせた約1600万円をもって、1952年(昭和27年)12月に着工し、翌1953年(昭和28年)11月5日に竣工した。明治以降の戦争で戦没した旧軍人軍属、一般戦災死者、外地死没者が祀られている。
神奈川県には戦没者慰霊の施設が無く、横浜市神奈川区三ツ沢西町・南町(現在の三ツ沢公園)に神奈川縣護國神社を造営していたが、完成間近の1945年(昭和20年)5月29日に横浜大空襲によって焼失した。第二次世界大戦後、神奈川県は護国神社の創建を断念し、日米講和条約締結記念事業として戦没者慰霊堂の建設が実施されることとなった。建設企画当初、敷地の選定に苦慮したが[注釈 1]、南区最戸町(現在の港南区最戸)にある真言宗大覚寺派の西岸山千手院が所有する裏山約3,000坪が無償で提供されたことにより、敷地が決定した。
港南大久保台の丘陵上に建設され、敷地面積は約4,345坪(14,340平方メートル)。うち2806坪74(約9278.48平方メートル)が内苑となっており、本堂は総檜造、銅板葺平屋建、神殿造りの社殿(建坪:51坪831)で、合祀者名簿格納棚、遺骨安置室及び記念品の展示場が併設されている。参門は山門式銅板葺平屋建(26坪300)で、参拝者休息所及び管理人宿泊所が併設されていた。

1964年(昭和39年)3月には慰霊堂参拝者のいこいの場として附属会館が建設されたが[3]、戦後50年にあたる1995年(平成7年)に建て替えられて、神奈川県戦没者慰霊堂附属会館(かながわ平和祈念館)として再整備された[4]。
工事概要
- 設計者:創和建設設計事務所
- 施工者:関工務店
- 建物
- 着工:1952年(昭和27年)12月6日
- 竣工:1953年(昭和28年)8月1日
- 土木工事着工
- 着工:1953年(昭和28年)1月31日
- 竣工:1953年(昭和28年)11月4日
- 参道:山田建設事務所
- 苑池工事:県営
- 経費:約1,600万円(うち約300万円は県民の浄財)
周辺施設
- 神奈川県戦没者慰霊堂附属会館(かながわ平和祈念館)
- 西岸山千手院 - 当施設に隣接。当施設建設にあたり約3,000坪の土地を無償提供している。
年間行事
交通
- 京急本線・横浜市営地下鉄ブルーライン「上大岡駅」から徒歩10分