神山清志
日本の新聞記者、作詞家
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経歴
1921年(大正10年)、栃木県上都賀郡足尾町(現在の日光市足尾町)に生まれる[2]。小学生の頃から詩作に取り組み、20歳の時には西條八十が主宰する詩誌『蝋人形』の同人として活動していた[6]。戦後は引き続き高橋掬太郎に師事していたが、1948年(昭和23年)11月に毎日新聞社へ入社し足尾通信部を振り出しに宇都宮支局、佐野通信部に勤務[6]。
1962年(昭和37年)、栃木県が主催した県民歌の歌詞募集で応募作が入選する(岡きよし名義)[6]。これ以降も新聞記者として活動する傍ら作詞に取り組んだ。特に音頭は本名の「神山清志」名義で、和田香苗の作曲により多数の作品を残している。
1982年(昭和57年)11月7日、親族の集まりで宿泊していた塩谷郡藤原町(現在の日光市鬼怒川)の鬼怒川温泉で入浴中に倒れ、急性心不全のため死去[5]。享年62(満61歳没)。
作品
参考文献
- 下野新聞社 編『明るい郷土を担う人々』昭和31年度版 全国書誌番号:58012952
- 『著作権者名簿』昭和42年度版(著作権資料協会、1966年) NCID BN07672115
- 吉村光右 編『風土の中の栃木県校歌集 下巻(中・高・大編)』(栃木県連合教育会、1988年) NCID BN04491930