神田選吉
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尾張国名古屋で尾張藩士神田梅精の子として生まれる[3]。明治3年(1870年)尾張藩立の洋学校に学び[3]、明治10年(1877年)工部大学校電信科に入学[3](第5期生)[6]、明治16年(1883年)5月に卒業した。その後、工部省に出仕[3]、電信建築に従事し、明治22年(1889年)3月大阪通信管理区電信建築手[3]、同7月に松山電信建築長[3]、次いで、熊本、大阪の同建築長を歴任し[3]、明治28年(1895年)4月東京郵便電信学校教授に任ぜられ[3]、明治38年(1905年)2月に東京郵便電信学校校長心得を命ぜられた[3]。電信学校の廃止に伴い、逓信局工務課に転じ[3]、逓信官吏練習所教官兼務を命ぜられていたが[3]、明治42年(1909年)9月4日に没した。墓所は青山霊園立山墓地[3]。
