神界物語
From Wikipedia, the free encyclopedia
この物語は幽冥に通達していると噂される和歌山市西瓦町在住の町医者嶋田幸安18歳の存在を知った紀州藩士の参澤宗哲が平田門下であるにも係わらず、あえて嶋田の下へ入門して弟子入りし、その少年幸安の口から奇想天外な異界の物語などを具に聞かされた宗哲は、平田宗家に伝わる廿五部秘書の1つである仙境異聞(仙童寅吉物語)や嘉津間答問・神童憑談畧記・七生舞の記などに描かれた高山寅吉少年の語る不可視な奇譚を思い浮かべつつ、異境や異界についてのエピソードを参考に幸安に質疑をなした。幸安は鎮魂帰神による神憑りをして神仙界の模様や、幽冥界の実相を如実に見聞して来たかのように応答する、更には人の前生や運命をずばり言い当てたり、人の行く末や近未来予言もなし、また人には過去世からの吉凶禍福がある事や、これらの原因たる因縁の本ともなる要因を神仙の導きによって感じ取り、悩める人々の為に病気平癒の祈祷や運命改善の呪術などを施している。幸安の治療は独自の神方医術でありまして、霊感による御託宣の処方箋の指示の通りに患者に施し、異境の薬草や和漢薬との調合による薬を配布したもので、調合されたものは、みな霊験顕著な効き目があったようだ。診療所(神力諸霊薬調合所・玄江舎)内で数々の奇蹟を目の当たりにした宗哲は、師の神通力の素晴しさに驚きの念を隠せなかったと云う。それ以後は幸安の神霊治療を全面的に信服し信頼した。幸安の話によれば、これらの奇蹟や神通力は私の力ではなく私を啓導なされておられる九州赤山(霧島山幽境)に棲む清浄気玉利仙全君と宣う尊貴な神のお力添えで、私はただ使命をおびて神様からのご託宣を代弁して伝えているにすぎないと申しておられる。その驚天動地な出来事や異界の有様などを一字一句訊き漏らさずに記憶に留めて、宗哲は師幸安の言霊を忠実に聞き書きして逐一逐次詳細に筆記記録したものが、即ちこの神界物語であります。
第1巻は嘉永5年6月頃に起筆し8月11日に筆を擱いている。約一月半のペースで1巻ごとに仕上げており嘉永7年11月29日には第19巻迄を書き上げていた、当初は19巻迄の予定でいたが、幽界より神仙の御達しがあり、補足として付記したのが最終巻の第20巻であります。後に親友の平田門下宮負定雄に神界物語を贈呈する運びとなり、その為に最終巻の第20巻を含めて浄書し直して安政3年10月10日に擱筆している。下総国香取在住の宮負は、翌年の五月戴いた物語のお礼として神界物語の後序文を宗哲に献呈している。参澤の口授筆記の内容の一部が本居宗家や平田鐵胤翁の逆鱗に触れて幸安に関する写本類はすべて焚書坑儒され、宗哲は平田家から追放される事となる。よつて明治以降もこの物語は隠蔽され封印され続けて来たわけでありますが、教派神道の脈流である綾部の教祖出口王仁三郎の主催する大本教の機関誌に、当時スタッフの一人であった友清歓真(九吾)が資料を提供し大正7年に『神霊界』と云う機関誌に紹介したのが嚆矢となり再びその存在が世間に知れ渡る事となる。感ずる処もあって大本教を離脱した友清は山口県田布施の地に於いて宗教団体格神教を設立し、後に神道天行居と改める。大正9年9月『神仙霊典』、大正12年9月『幽冥界研究資料』、大正13年8月に『闢神霧』などの著作を著し、これ等の本の中で参澤宗哲の手になる神界物語を友清は紹介している。
幸安に託した宗哲の入門誓約願い
参澤宗哲は1840年(天保11年)31歳の折りに伊勢松坂の鈴屋・本居内遠の門下となる。同年8月には内遠氏の紹介により平田篤胤門に正式に入門している。宗哲は本居・平田学を学ぶ以前に支那伝来の道教や神仙道に興味と関心を持っており、道家尊崇の的である五岳真形図にも深い関心をよせていた。そのような折柄、地元に於いて嶋田幸安と邂逅した事は、当に水を得た魚のように感じた事でしょう。行動派の参澤は早速若山の幸安を訪ねて正式入門している。幸安の仙境に於ける幽名を清玉心異人と称し、九州赤山に鎮座する清浄気玉利仙全君と仰せられる神仙の弟子の一人であります。参澤は幸安を幽導なされる師仙君に対して、仙境異聞の物語の中にでてくる杉山山人と申す高根神に宛てて認めた文を、篤胤が寅吉に託したように、参澤も己が認めた誓詞を師仙君の許へ幸安に代行して届けて戴く様に願って誓詞を提出している。神界物語第2巻の中に宗哲が尊貴な神に当時提出した文面が掲載されている。
『小生儀幼年より神教神仙の大道を好み其の道を以て諸人をも諭し申度志願御座候去る天保14癸年9月11日没故被致候平田大壑平篤胤先聖の門に入り神幽之古道仙境をも相学び居候処 此度不測の御縁にて両界出入の清玉異人(嶋田幸安)に近附き乍居幽理の実徴を伺ひ誠に大悦仕合に御座候 何卒此上神仙の大道玄理を学び諸人を救ひ善道を諭し幽顕両界の栄を願はしく奉存候間乍恐今般小生儀人間乍も清浄利仙君を師尊と奉仰御門人に相成候様に御許容被成下度奉願候左候はば無窮の大幸無此上重畳の難有仕合奉存候得 将亦就夫誓約等の心得方も御座候得ば被仰聞被下置度此段乍恐縮奉伺候 奉清浄利仙君 玉榻下 現界紀伊国若山住 藤原参澤明宗哲 印』
幸安の神通力とは霊媒や口移しのようなものではなく、鎮魂帰神による精神統一の奥なる道家の真一を体得し、仙童寅吉のように肉体のまま顕界と幽冥界の間を自在に行き来していたと云われている。弟子の誓詞を赤山の神の手許に届ける為に、幸安は誓願書の末尾に宗哲の左人差し指を契約印の代わりに突き墨さしているが、俄に人差し指に腫れ物ができてその痛みにしばらく呻吟したようだ。赤山の神に提出した日に、手にできた腫れもすっかり癒えたと語っている。