福島高晴の長男として誕生。母は村井貞勝の娘。室は村井氏。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、父・高晴は戦功を賞されて大和宇陀松山30,000石に加増移封された。正晴は本来その後を継ぐはずだったが、慶長20年(1615年)に父が大坂夏の陣において豊臣秀頼に内通(密かに兵糧を大坂城に入れていた説あり)していた嫌疑をかけられて改易され、父に連座して伊勢国山田に移り住んだ。
寛永17年(1640年)、同地において寺田将監という人物と争いを起こし、弟・高広と共に寺田を殺害した。その後、弟と共に切腹した。法名は傑岩道英。
長男・忠政は後に500石を与えられ、旗本として名跡存続を許されたが、4代後の福島正胤が罪を得て家名は断絶した。