福王金三郎 From Wikipedia, the free encyclopedia 福王 金三郎(ふくおう きんざぶろう、生没年不詳)は、江戸時代後期から幕末期にかけての江戸幕府の武士。通称は平左衛門とも。家禄は三百俵で、のちに御足高を加えられた[1][2]。 文化・文政年間の生まれとされる。紋所は「五葉輪違之内十六葉菊」。本国は三河国、生国は武蔵国で、宿所は四ツ谷裏大番町にあった[2]。祖父は福王準蔵で御小姓組を勤め、父・福王忠左衛門は勤仕並寄合ののち隠居している。金三郎はその実子総領として家を継いだ[2]。 天保13年(1842年)3月20日、出精を認められて従部屋住より召し出され、両御番のうちへ御番入を命じられ、西丸御小姓組武田和泉守組に属した[2]。その後、嘉永6年(1853年)9月27日、白須甲斐守組のもとで御本丸勤を仰せ付けられた[2]。 文久3年(1863年)2月10日、平岡石見守組において歩兵差図役頭取に任じられ、続く元治元年(1864年)6月20日には歩兵組改役を兼ねて勤めた[2]。同年8月12日には家督を正式に相続している[2]。 慶應2年(1866年)9月25日、歩兵頭並に任じられ、慶應2年12月にはその職に就いた[2][1]。さらに慶應4年(1868年)3月、歩兵頭へと昇進し、幕末期の幕府歩兵組織を担う要職にあった[1]。 脚注 1 2 3 日本医史学会 1999, p. 419. 1 2 3 4 5 6 7 8 新人物往来社 1990, p. 291. 参考文献 「日本医史学雑誌」第45巻第3号、日本医史学会、1999年。 『江戸幕府人名辞典 第3巻』新人物往来社、1990年。 Related Articles~TimelinesTop QsFact Checks