福田弥夫
From Wikipedia, the free encyclopedia
- 1965年(昭和40年)3月八戸市私立千葉幼稚園卒園(十日市秀悦と滝沢求は同級生)
- 1971年(昭和46年)3月八戸市立長者小学校卒業
- 1974年(昭和49年)3月八戸市立長者中学校卒業
- 1977年(昭和52年)3月青森県立八戸高等学校卒業
- 1977年(昭和52年)4月日本大学法学部法律学科(法職課程)入学
職歴
- 1987年(昭和62年)4月に 八戸大学の専任講師となる。
- 1990年(平成2年)7月にカリフォルニア大学へ-スティングス法科大学院客員研究員として留学
- 1991年(平成3年)4月に 八戸大学商学部の助教授となる。
- 1994年(平成6年)1月に サンフランシスコ大学ロースクールの客員教授となる。
- 1995年(平成7年)1月に 八戸大学商学部の教授となる。
- 1999年(平成11年)4月に 武蔵野女子大学現代社会学部の教授となる。
- 2003年(平成15年)4月に 武蔵野大学現代社会学部の教授となる。
- 2005年(平成17年)4月に 日本大学法学部の教授となる。
- 2010年(平成22年)10月1日に 日本大学通信教育部長となる。
- 2016年(平成28年)4月に日本大学危機管理学部開設にあたり、同学部教授となる。初代学部長に就任。
- 2023年(令和5年)12月に自賠責保険・共済紛争処理機構の理事長に就任する。
- 2024年(令和6年)3月に日本大学を定年退職。
- 2024年(令和6年)4月に八戸学院大学地域連携研究センター教授に就任
- 2025年(令和7年)4月に八戸学院地域連携研究センター長に就任
公職等
・自動車損害賠償保障法関係
・1999年(平成11年)2月に運輸省「今後の自賠責保険のあり方に係る懇談会」委員
・2002年(平成14年)12月に「財団法人自賠責保険・共済紛争処理機」の評議員に就任
・2005年(平成17年)9月に金融庁「自賠責保険審議会」の委員に就任
・2005年(平成17年)10月に国土交通省「自賠責保険制度改正後の見直しに係る有識者勉強会」委員
・2006年(平成18年)3月に国土交通省「今後の自動車損害賠償の在り方に関する」委員
・2008年(平成20年)7月に国土交通省「自動車事故による重度後遺障害者の「親亡き後問題」に関する検討会」座長
・2010年(平成22年)8月に「自動車損害賠償保障制度を考える会」座長
・2011年(平成23年)4月に「自賠責保険・共済紛争処理機構」評議員会長に就任
・2020年(令和2年)8月に国土交通省「今後の後の自動車事故被害者救済対策のあり方に関する検討会」座長
・2021年(令和3年)8月に国土交通省「今後の自動車事故対策勘定の在り方に関する検討会」座長代理
・2024年(令和5年)3月に国土交通省「被害者保護増進等事業に関する検討会」座長代理
・交通政策関係
・2006年(平成18年)4月に日本交通政策研究会監事に就任する
・2009年(平成21年)4月に軽自動車検査協会理事に就任する
学会関係
・2006年(平成18年)10月に日本保険学会評議員に就任する
・2008年(平成20年)10月に日本保険学会理事に就任する
・2009年(平成21年)10月に日本私法学会理事に就任する
・2014年(平成26年)10月に日本保険学会理事長に就任する
・2018年(平成30年)10月に日本保険学会監事に就任する
・2018年(平成30年)10月に国際保険法学会理事に就任する
アイスホッケー
・小学生のころからスケートに親しみ、最初は長根リンクで金下駄で滑った。従兄弟のスケート靴を受け継ぎアイスホッケーに入り、小学校5年生からアイスホッケーを始める(長者小学校アイスホッケ-クラブ)。叔父は八戸ホワイベアの名選手松橋正、従兄弟は中村晃一郎(八戸商業、日本大学)。長者小学校には天然のアイスホッケーサイズのリンクがあった。長者中学校、八戸高校でアイスホッケ-部に所属。八戸高校時代にはインターハイ2回出場。元全日本監督で農林水産大臣の田名部匡省は、当時の八戸高校アイスホッケー部の指導者のひとり。大学へはアイスホッケー推薦では進学しなかった。大学時代は東京都の社会人クラブ「オオシイズ」(代表はデザイナーの山下雄三)に所属。八戸大学でアイスホッケー部を創部し、レフェリー登録をする。アメリカ留学中にカリフォルニアでレフェリーをする。USA HOCKEY REFEREE)日本。のちに日本アイスホッケー連盟レフェリー委員となり、ルールブックとケースブックの翻訳を行う。1998年からは、日本アイスホッケー連盟の代表として国際アイスケー連盟の会議に参加。日本アイスホッケー連盟常務理事、レフェリー委員長、アジアリーグレフェリー委員長を歴任。国際アイスホッケー連盟のアジア地区主任レフェリー、レフェリーインストラクター、国際アイスホッケー連盟法規委員会委員、レフェリー委員会インストラクター等を経る。のちに日本大学スケート部長となり、日本学生氷上競技連携に関係する。日本学生氷上競技連盟筆頭副会長、会長(4期8年。2025年6月まで)を務める。コロナ下での大会中止の決断を行う。帯広大会では、全関係者の検査を実施して大会を無事に終了した。重要な決断を次々と行った。2024年3月に日本大学定年し、日本学生氷上競技連盟会長を退く。2025年6月から日本学生氷上競技連盟顧問、現在八戸学院大学スケート部GM。長野オリンピック(1998)の時にはアメリカ男子アイスホッケーチーム(ドリームチーム)の通訳をつとめた。