近江国坂田郡甲田村[1](のち滋賀県坂田郡鳥居本村、現彦根市甲田町)出身[6]。秋元平太郎の三男[2][4][5]。分家して一家を創立する[2][4]。僅かに旅費を持ち、1879年に単身で東京に来る[6]。
製皮事業が有利であることを予知し、2年間某商の徒弟となり、1881年に独立して近江屋商店を開業する[6]。「都下に於ける皮革商中の大商賈」と称され、直接国税約1000円を納める[4]。
所得税調査委員、東京製革業組合頭取などをつとめる[1]。長らく病気のところ薬石効なく1915年7月26日に死去する[3]。7月28日に出棺、浅草北清島町の長泉寺で葬送[3]。