秦梨城 From Wikipedia, the free encyclopedia 城郭構造 山城天守構造 不明築城主 不明築城年 鎌倉初期[1]logo秦梨城(愛知県)城郭構造 山城天守構造 不明築城主 不明築城年 鎌倉初期[1]主な城主 粟生師廣廃城年 不明遺構 曲輪、堀切指定文化財 なし位置 北緯34度56分48.5秒 東経137度14分59.3秒 / 北緯34.946806度 東経137.249806度 / 34.946806; 137.249806 (秦梨城)座標: 北緯34度56分48.5秒 東経137度14分59.3秒 / 北緯34.946806度 東経137.249806度 / 34.946806; 137.249806 (秦梨城)地図 秦梨城 テンプレートを表示 秦梨城(はだなしじょう)[1]は、愛知県岡崎市秦梨町にあった中世の日本の城(山城)。 『額田町史』[1]によれば、城主は三河守護足利氏被官粟生師廣とされている。 戦国時代には城主粟尾永信(将監)が駿河国の今川義元に属していたが弘治2年(1556年)に織田方に属した奥平氏 等に攻められたものの、奥平市兵衛・松平彦左衛門らを含む首5つを奪い同年5月24日(旧暦)に撃退したとされる[2][3]。 脚注 [脚注の使い方] 1 2 3 『額田町史』(額田町教育委員会、1986年11月1日)P146 ↑ 「秦梨城の戦い」(戦国合戦史研究会編『戦国合戦大事典〈三〉』新人物往来社、1989年)153-154頁 ↑ 「三河古文書」(新編岡崎市史編さん委員会編『新編岡崎市史 6 古代中世史料編 』岡崎市、1983年) 参考文献 戦国合戦史研究会編『戦国合戦大事典〈三〉』(新人物往来社、1989年)ISBN 4-404-01629-8。 新編岡崎市史編さん委員会編『新編岡崎市史 6 古代中世史料編 』(岡崎市、1983年)。 関連項目 日本の城一覧 岡崎市 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles