程福贇

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程 福贇(てい ふくいん、生年不詳 - 944年)は、五代十国時代軍人

沈着温厚な性格で、勇気と力量があり、累進して軍校となった。後晋天福7年(942年)冬、杜重威鎮州を討つと、福贇は安重栄宗城県で戦って、功により洺州団練使・検校太保となった。ほどなく入朝して奉国軍左廂都指揮使に任じられた。天福9年(944年)春、契丹が侵入し、少帝が北征して澶州に赴こうとした。ときに奉国軍の軍士らがひそかに反乱を起こそうと図り、本営に火を放った。福贇は腹心の士を率いてこれを鎮火し、自身も負傷した。少帝一行が順調に動き出したため、福贇は小事で人心を動揺させまいと、事情を隠して奏上しなかった。同僚の李殷は福贇を蹴落として取って代わろうと、福贇の隠していた事情を密奏し、福贇が反乱と共謀していたと讒言した。少帝は封丘県に到着すると、福贇を商州刺史として出させることにした。ほどなく獄に下して尋問させた。福贇は自身の潔白を明らかにすることができず、殺害された。当時の人はこれを冤罪とみなした[1][2]

脚注

伝記資料

参考文献

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