程遜
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後唐の天成2年(927年)、河陽節度掌書記から比部員外郎・知制誥となった[2]。のちに翰林学士・中書舎人に任じられた。長興3年(932年)、翰林学士・知制誥のまま戸部侍郎となった[3]。のちに兵部侍郎・翰林学士承旨に任じられた。後晋の天福2年(937年)、検校礼部尚書・太常寺卿に転じた[4]。天福3年(938年)秋、呉越への使節を命じられた。程遜の母は老齢で失明していたが、程遜はあえて使命を辞退しようとしなかった。出立にあたって、母は手で程遜の顔をさすって、号泣してかれを送った。かつて程遜は「幽室有時聞雁叫、空庭無路見蟾光」という詩を作ったことがあり、これを見た同僚はその詩語の不吉さをいぶかしんだ[5]。天福4年(939年)、程遜は帰国する途中、暴風に遭って海に溺れて死去した。尚書右僕射の位を追贈された[6]。