稲員稔
日本の政治家 (1907-1986)
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経歴
田川郡川崎町出身[1]。直方市筑豊鉱山学校(後の福岡県立筑豊工業高等学校)の研究科を卒業[1]。昭和12年に川崎町会議員となり、5月には川崎町長、8月には田川郡町村会長となった[6]。昭和13年12月には父の跡を継ぎ新田川鉱業合資会社の代表社員に就任した[7]。農業や石炭産業が活発だった川崎村の初代村長・上田清次郎は、地域活性化を目的に安真木村との合併を促進し、昭和12年4月に合併され大川崎村が誕生した[8]。その後村政が発展したことで昭和3年8月15日に村は町制へ移行し、上田は初代町長を務めた[8]。稲員は昭和21年4月から翌年4月まで二代目町長として活動した[注釈 1][9]。昭和15年3月に稲員鑛業所西川崎炭礦所を創設した[7]。昭和19年に三井池尻第一項を上田と提携して、共同斤先業した[7]。昭和20年3月に田川淸凉飮料、福岡市大丸印刷、八女郡福島町山玉製紙などの重役に就任している[7]。昭和22年4月に福岡県議会議員に当選し、6月から県議会議長に就任した[6]。警察法改正による昭和29年の福岡県警察の発足の際に、福岡県公安委員会委員に選任された[10]。同年7月に上田が前述の炭鉱の一部を買収したため、稲員は斤先掘契約に当たった[7]。昭和26年4月に福岡県議会議員を辞任した[1]。昭和32年5月に上正炭鉱が採掘終了し[11]、12月5日に閉山[12]。昭和30年9月19日に新田川炭坑が廃坑となり閉山した[13]。西川崎炭鉱は昭和33年6月に採掘終了となり[11]、昭和39年度に閉山となった[14]。