稲毛女房
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没後
親族たちの動向
夫の重成は悲しみのあまり出家した[2]。また北条家の面々については喪に服するため、姉の政子は比企能員邸に渡り[3]、父時政と兄義時は本拠地である伊豆国に下った[4]。この服喪は1か月ほど続いた[注釈 1]。
追善のための架橋
→「旧相模川橋脚」を参照
出家した夫の重成はその後、相模川近くに寺堂を建て、念仏を唱える日々を過ごしていた[7]。そこで、相模川渡船で多くの落命者がいることを見て、妻である女房の追善のため、源頼朝の許可を得て独力で橋を架けたという[8]。この橋の落成供養に臨んだ頼朝は落馬してのちに落命したといい、またこの橋の橋脚7本が、1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災によって姿を現した[7]。