稲永一衛
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軍歴
1932 - 1945
1951 - 1952(予備隊)
1952 - 1954(保安隊)
1954 - 1960?(陸自)
1951 - 1952(予備隊)
1952 - 1954(保安隊)
1954 - 1960?(陸自)
| 生誕 |
1910年11月13日 |
|---|---|
| 死没 |
1988年9月16日(77歳没) |
| 所属組織 |
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| 軍歴 |
1932 - 1945 1951 - 1952(予備隊) 1952 - 1954(保安隊) 1954 - 1960?(陸自) |
| 最終階級 |
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| 除隊後 | 民間企業役員 |
稲永 一衛(いねなが かずえ、1910年(明治42年)11月13日[1] - 1988年(昭和63年)9月16日[2]は、日本の元陸軍軍人および陸上自衛官。陸士44期卒(野砲兵)、陸大54期。最終階級は中佐、一等陸佐。
福岡県出身(大阪とも[3])。台北第一中学より陸軍士官学校予科に入学。指導生徒は広瀬栄一、区隊長はのちに二・二六事件の首謀者の一人となる村中孝次であった[4]。1932年、陸軍士官学校卒業。原隊は小倉野砲兵第6連隊。
陸軍大学卒業後、西部防空集団、西部方面軍および第16方面軍で幕僚として勤務し、鹿児島県川内の第303師団参謀として終戦を迎えた。
戦後は公職追放を経て警察予備隊に参加。保安隊特科学校教官を経て、陸上自衛隊成立に伴い北海道の第5管区総監部特技課長に発令され、まもなく第5特科連隊初代連隊長に就任。
のち、陸上自衛隊富士学校を経て再び高射学校に復帰。副校長で退任後、東芝エレクトロニックスシステムズ取締役[5]。
老後は千葉市に居住した。