稲波弘次
From Wikipedia, the free encyclopedia
1929年(昭和4年)7月、陸軍士官学校(41期)を卒業し、同年10月、騎兵少尉任官[2]。
1936年ベルリンオリンピックの馬術競技の2種目(障害飛越、総合馬術)に出場した[3]。結果は、障害飛越では35位、総合馬術では失権であった。障害飛越では朝富士という名前の馬に騎乗し、総合馬術ではギャロッピングゴーストという名前の馬に騎乗した[注釈 1]。
1920年にローマ東京間飛行を成功させたイタリア人飛行士(アルトゥーロ・フェラーリンなど)の世界初の偉業をたたえ、イタリア王妃に送られた記念帖に、稲波が12歳の時に描いた絵が収められている[4]。この記念帖には、他に後に画家となった田中孝(田中一村)、細谷達三や鉱山技師となった仲倉仙太郎(映画監督仲倉重郎の父)、建築家となった吉村順三の作品も収められている[5]。