開基は立花忠茂。開山は金剛院信誉。寛永十五(1638)年島原の乱の後、御城中ノ島にあった立花家守護神「稲荷神」[注釈 1]を本尊として御遷宮される。信誉法印の父・金剛院密乗(みっちょう)は、紀州熊野権現之座主正覚院僧正即傳の第二子とされる。 天正年間に九州に下向し、六峰のひとつである寶満山(竈山)へ修行に入る。天正14年の島津の動乱の時には懇意にしていた「寶満山」の座主、浄戒坊隆全より立花山城の立斎(宗茂)様へ「御利運御増長」の御祈祷を請われ、立斎公へ「御陣御袈裟矢御除御札守」を進上する。以後、歴代藩主の代替わりには熊野権現へ代参を賜る。[2]