稲葉通則 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 室町時代後期 - 戦国時代生誕 寛正6年(1465年)死没 大永5年8月2日(1525年8月30日)別名 右京亮、備中守(受領名) 凡例稲葉通則時代 室町時代後期 - 戦国時代生誕 寛正6年(1465年)死没 大永5年8月2日(1525年8月30日)別名 右京亮、備中守(受領名)戒名 守徳墓所 守徳寺主君 土岐頼芸氏族 稲葉氏父母 父:稲葉通貞、母:土岐成頼の養女兄弟 通則、通雄、忠通、通俊、光朝、常通、通光、通友妻 国枝正助の娘子 通勝、通房、通明、豊通、通広、於阿牟、深芳野、良通テンプレートを表示 稲葉 通則(いなば みちのり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。 稲葉通貞の長男、父が高齢のため家督を継いだ[1]。主君の土岐頼芸が石津郡牧田に駐屯していた浅井亮政を駆逐するために兵を出すと、それに従って牧田河原に出陣した。 頼芸が浅井軍の急襲を受けて窮地に陥ると、その救援に赴いて頼芸を逃したが、長男の通勝をはじめとする息子たちや家臣数十人とともに討ち死にした[1]。 唯一生き残った末子の良通によって菩提寺の守徳寺を建立されて葬られた[1]。現在は池田町龍徳寺東側の北池野コミュニティセンター北側に墓碑がある(池田町指定史跡)。 出典 1 2 3 寛政譜 1923, p. 170 参考書籍 『寛政重脩諸家譜 第四輯』國民圖書、1923年4月29日。 この項目は、日本の戦国時代に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:日本の戦国時代/Portal:歴史)。表示編集 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。表示編集 Related Articles