穴吹夏次
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1930年1月から家業の土木建築業に従事した。1937年3月に、川添村立川添青年学校の教官に就任する。[要出典]
1940年6月に、京都府警察部で警察官となった[要出典]。太平洋戦争中は軍に召集され、ウォレアイ環礁(メレヨン島)で終戦を迎えた[1]。1945年10月に復員して、実父の建設業を継承した[要出典]。
1961年1月に、穴吹工務店を株式会社に改組する。1964年5月に穴吹興産を設立して、代表取締役社長に就任した。子息の忠嗣(あなぶき興産社長を務めた)によると、穴吹工務店がありながら穴吹興産を創業したのは「資産三分割法」という考え方によるという[1]。
1994年に穴吹工務店代表取締役会長となる。
2000年10月24日午後5時35分、高松市内の病院にて死去し、同年11月21日にサンメッセ香川にて穴吹工務店社葬、穴吹グループ合同葬が執り行われた。死没日付をもって叙従六位[2]。