竇廷琬
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経歴
代々青州の牙将をつとめた家に生まれた。朱全忠に抜擢されて側近に置かれた[1]。後梁の貞明3年(917年)、河潼軍使から寧州刺史となった[2]。後唐の同光元年(923年)、復州游奕使となり、盗賊を取り締まった。のちに貝州刺史に転じた[3]。天成2年(927年)、慶州に塩池を置き、年ごとに絹10万匹と米10万斛を出すよう請願した。そこで廷琬は慶州防禦使となった[4]。慶州に塩池が置かれ、厳しい刑罰と法律で統制したため、辺境の人々を混乱させた。税金は集まらず、廷琬は金州に転任するよう命じられた[5]。天成3年(928年)10月、廷琬は慶州に拠って叛いた[6]。12月、静難軍節度使の李敬周に敗れ、一族とともに殺された[7][8]。