立川談幸
From Wikipedia, the free encyclopedia
![]() 丸に左三蓋松(立川流および立川談幸一門の定紋) | |
| 本名 | |
|---|---|
| 生年月日 | 1954年7月29日(71歳) |
| 出身地 | |
| 師匠 | 七代目立川談志 |
| 弟子 | 立川吉幸 立川幸之進 立川成幸 立川幸朝 立川幸路 立川悠幸 立川幸弥 |
| 名跡 | 1. 立川談吉 (1978年 - 1982年) 2. 立川談幸 (1982年 - ) |
| 出囃子 | 三下がりカッコ |
| 活動期間 | 1978年 - |
| 活動内容 | 落語家 |
| 所属 | 落語協会 (1978年 - 1983年) 落語立川流 (1983年 - 2014年) 落語芸術協会 (2015年 - ) |
| 公式サイト | 立川談幸ホームページ |
立川 談幸(たてかわ だんこう、1954年(昭和29年)7月29日 - )は、落語家。落語芸術協会に所属する。本名∶高田 正博。東京都新宿区出身。出囃子は『三下がりかっこ』[注釈 1]。
芸歴
人物
七代目立川談志唯一の内弟子(住み込み弟子)経験者である[3][4]。談志の実生活を目の当たりに体験しており、住み込み時代の奇想天外なエピソードや談志の意外な人柄などを、落語の「枕」や講演などでおもしろ可笑しく語ることも多い。
古典落語の持ちネタは200席以上ある。
趣味は投扇(2003年の浅草観光連盟主催の投扇興大会では優勝)。
コント赤信号の渡辺正行、小宮孝泰とは明治大学時代の同期である。大学時代には落語研究会に所属しており、立川志の輔は落研の先輩だが、会社員経験後に入門したため、落語家としては弟弟子である[5]。
真打昇進披露興行を寄席若竹で5日間行っている。師匠の談志は5日間通して出演した[6]。
所属していた立川流は、寄席(新宿末廣亭・鈴本演芸場・浅草演芸ホール・池袋演芸場)へ出演することができなかったが、2015年に落語芸術協会に入会してからは、定席へ出演している[注釈 2]。立川流が落語協会を脱退した1983年以前は、寄席での修行や出演を経験しており、芸協への移籍で32年ぶりの寄席復帰となった。ただし入会から2年間は「準会員」として扱われており、2017年1月に「正会員」となった後も落語芸術協会の香盤では真打でも別枠として扱われた。2019年6月より香盤に入れられ、2016年真打昇進者の下に列せられている[注釈 3]。立川流脱退は落語家としての残り人生を考えて寄席復帰を希望したためで、立川流の了解を得ている[7][8]。
立川流在籍時に採用した一門の弟子(吉幸・幸之進)も、2015年4月に落語芸術協会に入会した。いずれも立川流では二ツ目であったが、芸協入りに際し改めて前座修行を課されており、吉幸は1年間、幸之進は2年間前座として過ごした[9]。なお、吉幸は2019年5月上席より真打に昇進し[10][11]、談幸にとって初めて弟子を真打に育てた。幸之進も2025年5月上席より真打に昇進した[12]。2017年に成幸が入門、芸協移籍後の最初の弟子となって以降は積極的に弟子を採用している。
なお、幸弥(前名:幸七)は2020年に芸協を退会し現高座名に改名する形でフリーとして活動しており、談幸一門所属となっている。幸弥は芸協退会時は前座であったが、2023年10月1日に(談幸一門内での)二ツ目に昇進した。
毎晩、Xにグラス片手に笑顔で晩酌する姿を投稿している。原則ひとりで写ることが多いが、寄席の楽屋などでは仲間と写ることもある[13]。
出囃子
- 吾妻八景(1982年 - 2014年)
- 三下がりカッコ(2014年 - )
弟子
出演
舞台
- 『ゴールデン街 青春 酔歌 ~オヤジん夢は夜ひらく~』(2015年7月29日 - 8月2日、SPACE雑遊)
- 『ゴールデン街 青春 酔歌 ~オヤジん夢は夜ひらく~』再演(2017年7月26日 - 7月31日、新宿シアターモリエール)
- 『立体落語「らくだーッ」』(2020年9月13日、亀戸文化センターカメリアホール)[注釈 4]
- 『立体落語「死神」』(2024年7月20日、深川江戸資料館小劇場)[14]
著書
CD
- 『はなし家慕情/談幸音頭』(MJPレコード、2008年3月)*歌のCD[15]
