竹ヶ花古墳は当時の松戸市竹ヶ花字捨石、松戸市役所の北東約200メートルの大きな台地上に位置していた[1]。台地の南側への突出部上に築かれていたため外見上前方後円墳と見誤られる場合もあったが、調査によって円墳であることが判明している[1]。規模は直径22 - 25メートル、高さ2 -2.5メートルと想定されている[1]。古墳の北側は1955年(昭和30年)に開業した新京成電鉄線によって切り取られていた[1]。
1961年(昭和36年)10月10日に採土工事が開始されたことにより主体部が露出し、急遽岩崎卓也ら東京教育大学文学部史学方法論教室により調査が行われることとなった[1]。内部主体として白色粘土による壁体と平坦面を有する1対の凝灰岩が確認された[1]。遺物として鉄刀片などの鉄片が見つかっており、葺石や埴輪類は確認されなかった[1]。
工事との関係上1日のみで行われた調査の後、竹ヶ花古墳は消滅した[1]。