10歳でジャンプを始め、小樽忍路中学校-小樽北照高校から1983年名門たくぎん入社。しかし、成績不振で1987年退社し引退。1年間行方をくらましていたが1988年に東洋実業グループに入社して現役復帰した。なお、この1年半の間は本人曰く「行方不明の間、ジャンプ選手にとって何が必要かを考え、そのすべてを学習した。」とのことである。
1994年現役引退し、トレーナーに転身。全日本チームのコーチ、トレーナーなどを務める。
一方、ジャンプ放送の解説者を多数務める。
1999年のみなと・おたる国体の際に「来年は私が出ます」と口を滑らせたことが原因で翌年の富山での国体に参加することになり、
岡部孝信、斉藤浩哉、吉岡和也、千葉勝利に道具を借りて挑むも、ブランクと多忙による練習不足のため優勝することが出来なかった。