竹内正巳
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兵庫県佐用町出身[4]。大阪府立高津中学校(大阪府立高津高等学校の前身)、高知高等学校(高知大学の前身のひとつ)に、いずれも1期生として学び、高知高ではボート部を創設して活躍した[5]。1929年、京都帝国大学経済学部を卒業[1]。在学中は蜷川虎三ゼミで統計学を学んだ[6]。
1930年代はじめから1945年まで、満鉄調査部に勤務し[1]、東亜経済調査局の報告書などにもたずさわった[7]。戦後、ソ連によるシベリア抑留を経験する[6]。
1950年に帰国し、以降、経済企画庁の前身である経済安定本部勤務[6]、経済審議庁調査官、愛媛県企画室長を経て[1]、1954年ころに大阪府立商工経済研究所長[8][9]として大阪へ戻り、近畿開発促進協議会事務局長なども務めた[1]。
1965年7月、桃山学院大学教授[1]。桃山学院大学では、産業貿易研究所長などを務めた[6]のち、学園紛争期に学長を務めた[2][5]。
1970年、「地域経済の構造と政策」により、大阪市立大学より経済学博士を取得[10]。
1975年の第8回統一地方選挙に際して行なわれた第8回大阪府知事選挙では、再選を目指す黒田了一知事への対抗馬として日本社会党、公明党、民社党(社公民路線)に推されて出馬したが、結果は黒田知事の再選となった[11]。
晩年には、南海道総合研究所所長として活動した[2]。