竹原慎二
日本のプロボクサー (1972-)
From Wikipedia, the free encyclopedia
来歴
生い立ち
広島でボクシングジムを経営する父・竹原三郎と焼肉店を経営する母との間に広島県安芸郡府中町で生まれる。府中小学校に通い、先輩には宇梶剛士、吉川晃司がいた[2]。小・中学校と柔道部に所属し、団体戦で郡大会優勝を経験[3]。その一方で喧嘩にも明け暮れ、暴走族にも入る不良時代を過ごし、あまりの素行不良から地元では「広島の粗大ゴミ」と呼ばれていた[4]。また、近隣の中学の番長クラス3人の名字前に「たけ」が共通してついており、3人合わせて「三たけ(さんたけ)」とも呼ばれていた[3]。中学卒業後、就職するも仕事が長続きせず、様々な職業を転々とする。
1988年9月9日にプロボクサーを目指して上京[5]。当時、協栄ボクシングジムに間借りしていた沖ボクシングジムに入門する。上京後は内装の会社に就職。ボクシングで生計が立つまで同社で働いた。同社社長には深恩があり[注 1]、世界チャンピオン獲得時には社長をリング内に上げている。
プロボクサー
1989年5月15日の但野正雄戦でボクサーとしてプロデビューし、4回KO勝利。平山起代治に2度連続でKO勝利し、北田義治を1回KO勝利すると、同年12月23日の東日本新人王決定戦に出場。ビニー・マーチンを6回判定で下し、第46代東日本ミドル級新人王になる。翌1990年2月18日に、徳田晴久を2RKOで下し第36代全日本ミドル級新人王になる。同年11月26日には朴健洙(韓国)を相手に初国際戦を経験し、1RKO勝ちする。
1991年10月28日、王者・西條岳人に7RKO勝ちし第41代日本ミドル級王者になる。後に東洋太平洋ライトヘビー級王者になる寺地永を2RKOで下し初防衛を果たすと、真田雄一(西澤ヨシノリ)とビニー・マーチンそれぞれを10R判定で下し、3度の防衛を果たして王座を返上した。
1993年5月24日、李成天(韓国)に12RKO勝ちし東洋太平洋ミドル級王座を獲得。同年11月22日にニコ・トリリ(インドネシア)を6RTKOで倒して初防衛を果たしたのを皮切りに、1度のノンタイトル戦を挟んで6度王座を防衛した。95年9月12日に6度目の防衛戦で李成天と再戦を行った。8Rに左フックの相打ちでダブルノックダウンがあったが竹原が3-0の判定で防衛した。
1995年12月19日、後楽園ホールでWBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)に挑んだ。試合は3回、竹原が左ボディブローでこれまでダウン経験のない王者からダウンを奪う。ダウンから立ち上がった後は一進一退の攻防が続き、終始打ちつ打たれつの激戦が展開されたまま試合は終了。判定の結果、3-0で竹原が勝利し、日本人初の世界ミドル級王者となった[7]。また、東洋人としてはセフェリノ・ガルシア(フィリピン)以来56年ぶり2人目であった。
1996年6月24日、横浜アリーナでWBA世界ミドル級1位のウィリアム・ジョッピー(米国)との指名試合に臨む。試合は初回から竹原の力み過ぎが目立ち、挑戦者の右をまともに浴びた王者が手をキャンバスに付くダウン。その後も出色のスピードを誇るジョッピーに終始ペースを握られる。迎えた9回2分29秒、挑戦者が連打で王者をコーナーに追い詰めたところでレフェリーストップ[8]。6か月で世界王座から陥落した。その後網膜剥離が判明し、引退した[9]。
後に自身のYouTubeチャンネルでカストロの強烈なパンチで網膜剥離になっており、練習にさえも全然集中ができず[10]、ジョッピー戦では左目が全く見えない状態での試合だったと語っている。
引退後
引退後はタレント活動を始めるが、日焼けサロンなどのアルバイトで生計を立てていた。また、イタリア料理店の経営もしていた[11]。25歳で結婚し、子が2人いる。
2000年からTBSのバラエティ番組『ガチンコ!』のメイン企画『ファイトクラブ』にコーチとして参加。同企画は不良と言われる若者をボクシングを通じて更生させ、プロボクサーに育て上げるというもので、約3年間続いた。企画参加者にスパルタ指導を行い、その間に12人の参加者がプロテストに合格。その中の、斉藤一平と梅宮哲はのちに俳優となった。同年に、『ガチンコ!』での発言「お前ら弱い世界じゃ強いじゃろうが、強い世界じゃ下の下じゃ(ゲのゲじゃ)」を歌詞に入れたラップCD『下の下のゲットー』を通信販売した。
『ガチンコ!』では教育的指導やボクシングという建前で相手を殴ったりすることもあったが、プライベートでは「流石に元格闘家だけに一般人の相手をなぐることはしなかった」と述べている。ただし度を越して問題があった場合はその限りではなく、そのときは殴ったこともあったという[12]。2023年5月に出演した『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(ABEMA)では、『ガチンコ!』で人生が一変したと話し、自身が経営するイタリア料理店に、婚姻届を持った女性が押しかけてきたこともあったと話した。一方で全国のヤンキーから日常的に挑発されるようにもなったと話している[13]。
2001年2月ガッツファイティングにて当時の日本ミドル級王者鈴木悟とスパーリング含む引退セレモニーを行った。
2002年7月1日に畑山隆則とともに東京都新宿区にT&H竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジムを開く。
2005年1月21日、テレビドラマ『特命係長 只野仁』にヤクザ役で出演。主役の只野役の高橋克典と1対1の対決シーンを演じた。同年3月には、青森山田高等学校通信課程を卒業。
2006年、Yahoo! JAPAN内のウェブマガジン「月刊チャージャー」に『竹原慎二のボコボコ相談室』の連載を開始。50 - 60万アクセスを記録する。相談室の名に似つかわしくない極めて辛辣な回答が人気を集める一方でいじめなどに関して過激な発言もあり[14]、掲示板などで度々物議を醸していた。同年より、ダイエット用品のプロデュース事業を行う会社「カンピオーネ」代表取締役社長を務める。
2006年10月から2007年3月までサンテレビで放送された音楽番組『VIVA!温故知新』でパーソナリティを務めた。また『週刊ヤングサンデー』で連載された「タナトス 〜むしけらの拳〜」(作画:落合裕介)の原案を手がけ、後に映画化される。
2007年3月29日から、竹原慎二オフィシャルブログを開始。2012年より太田プロダクションに所属。
2014年、前年から血尿などの体調不良があり精密検査を受けた結果、膀胱癌が判明。リンパ節への転移も見つかり、病状が悪化。医師から「5年の生存率は40%」と診断され[15]、手術・抗がん剤治療などの闘病生活が続いた。その様子が11月21日・TBS系で放送の「爆報! THE フライデー」で紹介された[16]。闘病中に妻にサポートしてもらったことで感謝するようになったと話している[17]。
2015年よりジム運営・タレント活動を再開。
人物
戦績
- プロボクシング:25戦 24勝 (18KO) 1敗
| 戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 1989年5月15日 | ☆ | 4R 2:51 | KO | 但野正雄(宮田) | プロデビュー戦 | |
| 2 | 1989年7月17日 | ☆ | 2R 1:56 | KO | 平山起代治(金子) | 1989年東日本ミドル級新人トーナメント予選 | |
| 3 | 1989年9月18日 | ☆ | 1R 2:26 | KO | 平山起代治(金子) | ||
| 4 | 1989年11月10日 | ☆ | 1R 1:29 | KO | 北田義浩(ヨネクラ) | 1989年東日本ミドル級新人トーナメント予選 | |
| 5 | 1989年12月23日 | ☆ | 6R | 判定1-0 | ビニー・マーチン(角海老宝石) | 1989年東日本ミドル級新人トーナメント決勝戦 | |
| 6 | 1990年2月18日 | ☆ | 2R 1:01 | KO | 徳田晴久(JA加古川) | 1989年全日本ミドル級新人王決定戦 | |
| 7 | 1990年7月30日 | ☆ | 10R 1:13 | TKO | 横崎哲(オサム) | ||
| 8 | 1990年11月26日 | ☆ | 1R 2:35 | KO | 朴健洙 | ||
| 9 | 1991年2月18日 | ☆ | 1R 1:43 | TKO | 鈴木智男(宇都宮) | ||
| 10 | 1991年7月15日 | ☆ | 4R 1:49 | KO | 柏原二郎(姫路木下) | ||
| 11 | 1991年10月28日 | ☆ | 7R 0:44 | KO | 西條岳人(サカエ) | 日本ミドル級タイトルマッチ | |
| 12 | 1992年2月17日 | ☆ | 2R 2:47 | KO | 寺地永(陽光アダチ) | 日本防衛1 | |
| 13 | 1992年5月17日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | 真田雄一(ヨネクラ) | 日本防衛2 | |
| 14 | 1992年8月17日 | ☆ | 10R | 判定3-0 | ビニー・マーチン(角海老宝石) | 日本防衛3 | |
| 15 | 1993年2月15日 | ☆ | 5R 0:58 | KO | 横崎哲角(オサム) | 日本防衛4 | |
| 16 | 1993年5月24日 | ☆ | 12R 2:38 | KO | 李成天 | OPBF東洋太平洋ミドル級王座決定戦 | |
| 17 | 1993年11月22日 | ☆ | 6R 2:37 | TKO | ニコ・トリリ | OPBF防衛1 | |
| 18 | 1994年2月21日 | ☆ | 1R 1:52 | KO | ノリ・デ・グイア | ||
| 19 | 1994年6月12日 | ☆ | 7R 1:44 | TKO | アレックス・トゥイ | OPBF防衛2 | |
| 20 | 1994年9月18日 | ☆ | 12R | 判定2-1 | 李鉉植 | OPBF防衛3 | |
| 21 | 1994年12月19日 | ☆ | 7R 2:44 | KO | クレイグ・トロッター | OPBF防衛4 | |
| 22 | 1995年4月17日 | ☆ | 1R 2:45 | KO | 朴永基 | OPBF防衛5 | |
| 23 | 1995年9月12日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | 李成天 | OPBF防衛6 | |
| 24 | 1995年12月19日 | ☆ | 12R | 判定3-0 | ホルヘ・カストロ | WBA世界ミドル級タイトルマッチ | |
| 25 | 1996年6月24日 | ★ | 9R 2:29 | TKO | ウィリアム・ジョッピー | WBA陥落 | |
| テンプレート | |||||||
出演
テレビ
配信ドラマ
- 夢で会えても LINE VISION(2020年、監督:岩井俊二) - 刑事
- 湯道への道(2022年、Amazon prime) - 織田信長
- 欲望の街(2023年、U-NEXT独占配信) - 沖田隼人(権藤厳一郎のボディガード)
ウェブテレビ
- 亀田興毅に勝ったら1000万円(2017年5月7日、AbemaTV) - 解説[21]
CM
映画
- 実録外伝 武闘派黒社会(1999年9月10日) - 黄
- 新・空手バカ一代 格闘者(2003年4月19日)
- SUPPINぶるうす ザ・ムービー(2004年5月15日) - 土方隊長
- 逢えてよかった(2011年3月26日)
- タナトス(2011年9月10日、原案:竹原慎二)
- ファイティング オカン(2011年11月5日) - 風間亮(ジムトレーナー)
- MOON DREAM(2013年6月29日) - 殺し屋
- 鷲と鷹(2014年5月24日)
- ハッピーランディング(2015年6月6日) - 本人役
- アンダードッグ(2020年11月27日、東映ビデオ、監督:武正晴)[22]
- アキラとあきら(2022年8月26日公開)[23]
Vシネマ
オリジナルビデオ
- 世紀の快挙(1996年4月19日、ポニーキャニオン)※ホルヘ・カストロを大差の判定で破った残るタイトル・マッチをノーカット完全収録
書籍
著書
- 竹原スタイル―奇跡を起こす人になれ(2000年9月1日、河出書房新社)ISBN 978-4309264295
- 竹原スピリッツ―奇跡はすでに始まっている(2002年8月1日、河出書房新社)ISBN 978-4309014845
- ボクサ・フィットネス―体脂肪&ストレスKO!(2004年5月1日、日本文芸社)畑山隆則と共著 ISBN 978-4537202731
- じゃあの。(2007年7月10日、宝島社)ISBN 978-4796658737
- 竹原慎二のボコボコ相談室(2008年4月9日、小学館プロダクション)ISBN 978-4796870443
- 見落とされた癌(2017年6月21日、双葉社)ISBN 978-4575312614
漫画
- タナトス 〜むしけらの拳〜(小学館、全8巻)原案