竹本素行
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安政7年1月、上野国松井田(現、群馬県安中市)に生まれる[1]。
1872年(明治5年)に東京に出て叔父の養女となり、1874年に鶴沢巴磨寿についた後、豊竹和国太夫の内弟子となって和佐吉と称し、1875年より寄席に出るようになった[1]。1879年(明治12年)には地方興行に赴き、1880年には吉田國五郎一座に加わり、同年、北海道函館を巡業中に真打となって三福を襲名した。1886年(明治19年)、24歳のとき豊竹和国太夫との間の娘(林きむ子)を出産[2]。1891年には東京に戻り、1892年(明治25年)、竹本素行を名乗り、前の名の三福は門人の津賀蝶に譲った[1]。 1907年(明治40年)には弟子の竹本呂行に素行の名を譲り、みずからは瓢と改名した[1]。
